まだ僕たちがこの初音島に引っ越してくる前のことなんだけど。
リビングのソファでうたた寝してたリョウが、急に「……もうすぐ会えるよ」って寝言言ったんだ。
起きたあとリョウに寝言言ってたこと教えたら、リョウ本人もビックリしてた。
どんな夢見てたのって聞いたら、ちょっと顔赤くして「わかんねー、覚えてねェ」って仏頂面してたけど。
きっと、リョウも引越しが楽しみなんだろうなあ、ってなんとなく思った。だってさ、僕もかなり楽しみだったんだ。この初音島に戻ってくるの。
新しいことが始まるときって、なんだかちょっとドキドキするよね。
少し不安で、でもそれより期待の方が大きくて、新しい友達出来るかな、とか、僕たちのこと好きになってもらえるかな、とかワクワクしたりして。
朝、学校に向かう途中の通学路で、舞い散る桜の花びら眺めてたら、ふとあの頃のそんなドキドキワクワクした気持ち、思い出した。また、何か新しいことが始まるといいな。

オレ、航平に頼みごとされた。
『サイミンジュツ』ってゆーのの、練習相手になってくれって。
なんだかすげーイヤな予感がしたけど、航平は史桜の友達だし、いつもオレとも遊んでくれるから、
頼まれたら仕方ないよなって思って、引き受けた。
航平は、５０円玉にヒモ通したやつをオレの目の前にぶらぶらさせて、じーっと見ろ、って言う。
オレ、頑張ってじーっと見たけど、別に何にも起きなかった。
そしたら航平はオレがちゃんと見てないとか、まばたきするのがよくないとか、色んなこと言う。
オレ、まばたきなんかしないでちゃーんと見たぞ！！
航平はそのあともずーっとオレにその５０円玉のやつ見せて、鳥になれーとか猫になれーとかよく意味がわかんねーこと言ってたけど、やっぱり最後まで何にも起きなくて、
航平はちょっとガッカリした顔してた。
オレ、航平って史桜の友達の中じゃ一番フツーだと思ってたけど、もしかしたら間違ってたかもしんない。

外出から戻ったら、窓辺にずらりと照る照る坊主が並んでいた。
ティッシュを丸めたものに、ご丁寧にサインペンで似顔絵まで描いてある。
ヒマなことをするものだと呆れていたら、蒼が得意げな顔で「いい出来だろ」と自慢してきた。
照る照る坊主を作る才能に目覚めたので、小遣い稼ぎにこれから照る照る坊主制作請負業をやろうかと思う、などと大真面目に話している。
おそらく冗談なんだろうが、それを承知で突っ込ませてくれ。
照る照る坊主を作るのに才能がいるのか、というかその商売は儲かるのか、原価率はどの程度だ、どれほどの利益が見込めるんだ。
……まあ、この時期はいつも沈みがちなあいつが、楽しげに冗談を言っているだけでも、よしということにしておくか。

商店街の書店の前を通りかかったら、妹が家庭教師の渓くんと、
２人で雑誌を眺めているのを見かけた。
何をしている、どういうことだ、参考書を選ぶという名目で妹を連れ出したんじゃなかったのか！？
と、詰め寄って妹を奪還しようとした、んだが───。

妹と話している彼の表情が珍しくとても穏やかで、微笑すら浮かべていたから、声がかけられずにその場で立ち止まってしまった。
彼もあんな表情をすることがあるんだな。
ああやって笑っていると、ちゃんとそれなりに年相応の青年に見えるじゃないか。
それとも、彼からあんな表情を引き出しているのは、俺の妹なんだろうか。
……まあいい。
今日のところは、つかのまの休戦ということにしておこう。
だが、妹はすぐに返してもらうからな。

史桜とにーちゃんが、「かがいじゅぎょー」ってとこに行くらしい。
だから、オレも一緒に行ってやることに決めた。
オレも行くぞーって言ったら、史桜もにーちゃんもなんか慌てた顔してワーワー言ってたけど、きっとそれだけ嬉しい、ってことだと思う。
だって、オレがいないと史桜もにーちゃんも淋しがるもんな。
そうと決まったら、出掛ける準備しなきゃって思って、商店街におやつ買いに行った。
商店街のオバチャンは、オレが行くといつもオマケしてくれるから好きだ。
史桜の分とにーちゃんの分もおやつ買って帰ろうとしたら、稜平と航平に会った。
オレも「かがいじゅぎょー」に行くぞ、って言ったら、稜平と航平は顔見合わせて「そっか、まあ、その……がんばれ」とか言ってた。
あの顔じゃ、稜平と航平は多分、おやつとか何も用意してないと思う。
しょーがない、オレ、２人の分もおやつ持ってってやるからな。

渓がいきなり、感謝状よこせとか言い出した。
ついさっきまで試験勉強のこと話してたくせに、なんで急に試験から感謝状の話になったわけ？
まあ別にいいけど、偶然そこにリョウが通りかかったから、「渓が感謝状よこせって言ってるから、
あげといて」って頼んでおいた。
リョウはなんで俺が、とかテスト前でそんなヒマねェ、とか色々わめいてたけど、僕があげるよりリョウがあげた方が渓も喜ぶよ、きっと、って言っといた。
そんなわけねーだろ、っていうリョウの抗議の声は、聞こえない、ってことにして。
さーて、それじゃあ僕は試験勉強と称して、史桜と図書館デートでもしてくるとするかな。

……コウとケンカした。
悪いのは俺じゃなくて、絶対にコウだ。
俺が買ってきたゲームなのに、あいつが俺のいない間にさっさと先に始めるから頭来た。……けど、同じ部屋にいるのに無視するとか目も合わせずにいるとか、なんか背中がむずむずして落ち着かねー。
なんだかんだ言って、俺、こうやっていつもあいつから折れてくんの待って、自分から謝ることってあんまりねーよな。
そーゆーところが我ながらガキっぽいつーか、コウだけじゃなくて古城とかとも、よくケンカになる原因なのかも。
よし、あと１時間だけ。
１時間経ったら、今回は俺から謝るか。

先日、同僚の先生に柏餅を頂いた。
家に持ち帰って包みを開けてみたら、小さなこいのぼりの旗がついていた。
そういえば、５日はこどもの日だったな。
妹は「可愛い」と喜んでいたが、こいのぼりの旗を見た龍之介くんは「こんなところにまでサカナが！！」と非常に驚いていた。
サカナの日がどうとか、島が占領されるとかなんとかぶつぶつ呟いていたが、どういう意味だったんだろうな。

生物のレポートがどーしても終わんないんで、古城んちで日曜に片付けることになった。
それはまあしょーがねーけど、あいつと２人で調べ物したりデータ表とか書いてる間、
古城先生がずーっとすぐ後ろに立って、むちゃくちゃ心配そうな顔して俺の一挙手一投足を
見張ってる。
いや、そんな顔して見張ってなくても、俺、レポート片付けに来ただけだから。
心配しなくても、先生の見てる前で妹にどーとか、する気ねーし。

おまけに「メシでも食ってけ」ってキッチンに立ったのはいいけど、気もそぞろって感じで、
料理する手付きが見てらんねーくらい危なっかしい。
そんなに俺のこと気になるなら、そんな気なんか遣わないで、さっさと追い返せばいいのにな。
なんつーか、先生も色々、苦労が多いよな。
ま……苦労が多いのは、お互い様か。

外で用事を済ませて家に帰ってきたら、家の中がやけに賑やかだった。
何事かと思ったら、弟たちの同級生のあの少女がケーキ持参で押しかけてきて、『誕生日パーティ』とやらをすることになったらしい。
そういえば、今日は蒼の誕生日だったな、とそこで初めて思い出した。
キャンドルを点けたり消したり、プレゼントがどうのケーキがどうのと騒々しかったが、なんというか、
長く忘れていた感覚を思い出したような気がして。
こんなことを俺が言うのもなんだが、悪くなかった、というか、
久々に家族らしい雰囲気を味わった、というか。

───などと、せっかく少し感傷的な気分に浸っていたというのに。
彼女が帰ったあと、蒼に「史桜の誕生日にサプライズ返しするから、渓、なんか考えといて。
あ、あとついでにプレゼントも用意しといて」などと平然と言われて、いい気分が台無しになった。
何故、お前はそうなんでもかんでも他力本願なんだ。
彼女へのプレゼントを俺が用意するのはいいが（というか、稜平に買いに行かせるから構わないが）、
その代金はお前の小遣いから差し引いておくからな。

今日、史桜ちゃんと話しててびっくりしちゃったんだけど、初音島の人って「お花見」って感覚があんまり無いらしい。
ううん、あることはあるんだけど、「お花見は春にするもの」って感覚じゃなくて、一年中いつでも気が向いたときにするもの、って感覚なんだって。
一年中、いつでも桜が見られるんだったらそりゃそっか、って納得はしたんだけど。
でも、島外で過ごした時間が長かったから、やっぱりのんびりしてぽかぽかあったかい春の季節に眺めるのが一番いいと僕は思うし、桜を見るなら春に見なきゃお花見したって気がしない、って史桜ちゃんに言ったら、「だったら今日の放課後、お花見しよっか」って、僕に付き合ってくれた。
うん、桜はやっぱり春に見るのが格別、って気がするよ。
仲のいい大好きな友達と見るなら、なおさらね。

今日は一年に一度のウソをつかなきゃいけない日で、ウソをつかないと怖い人に怒られるっておーせが教えてくれたから、オレ、ウソをつくことにした。
公園のとこで稜平に会ったから、「オレ、今からウソをつくぞ！」って言ったら、稜平は頭を掻きながらウンザリしたよーな顔して「……お前もか」って言ってた。
でも、オレのウソに稜平、だまされたぞ！
もちろんオレ、すぐに「今のウソだぞ！」って教えてやったけどな！
これから帰って、にーちゃんもだますぞ。史桜はだましたら可哀想だから、だまさない！
オレってエラいぞ、うん。

授業中に窓の外ぼんやり眺めてたら、弟たちの友達の……りゅーのすけくん、だっけ、
あの子が校庭に乱入してきて、「出て来い、そつぎょーしき！！　やっつけに来たぞ！！」なんて
わめいてた。
すぐに飛んできた警備員に取り押さえられて、首根っこ掴まれて校外に連れ出されてたけど。
卒業式と戦うってなかなか斬新な発想だね。さすがの僕も思いつかなかったよ。
なんか棒っきれみたいの振り回してたけど、あれでどうやって戦うつもりだったんだろうね。
おかげで授業がちょっとだけ中断して、それはラッキーだったけどさ。
あの子が『謎の敵・ソツギョーシキ』と戦うところ、観戦したかったんだけどなあ。残念。

妹へのホワイトデーのお返しを買いに行ったら、あの非常識家庭教師と鉢合わせした。
俺を見ると、彼は何故かひどく動揺した顔をして、目が泳いで焦り始め、何か熟考し始めたかと思うと、最終的には勝利を確信した顔になって、俺に背を向け行ってしまった。
何を考えていたのかわからないが、相変わらず挙動が怪しい男だ。
やはり、あまり妹には近付かせないよう、注意して見張っておこう。
妹の好物の砂糖がけのせんべいを買って家に帰り、「毎年同じものですまないな」と謝りながら渡すと、妹は「これを毎年楽しみにしてるから、とっても嬉しい」と満面の笑顔で喜んでくれた。
妹は子供の頃からこれが大好きだったからな。喜んでもらえて、何よりだ。
そういえば。
あのとき、あの非常識家庭教師が手にしていたキャンディボックスによく似た箱を、後日、妹が持っていた気がするんだが───
まさかな。きっと、俺の見間違いだろう。

この前の休日から、渓兄ちゃんの機嫌が悪い。
多分だけど、史桜ちゃんが渓兄ちゃんだけ遊園地に誘わなかったのが原因だと思う。
渓兄ちゃん本人は、口が裂けてもぜーったいにそんなこと認めないと思うけどさ。
で、そんな機嫌の悪い渓兄ちゃんを見ていた蒼兄ちゃんがニヤニヤ笑いながら近付いてきて、
「ま、そう怒らないで。今度のテスト楽しみにしてなよ」なんて意味ありげなこと言う。
もしかして、このところ史桜ちゃんが昼休みも放課後も必死になって勉強してることと、
何か関係あるのかな。
絶対、関係あるに決まってるよなあ。
うちの兄ちゃんたちのせいで、いつもホントごめんね。
今度、何か差し入れ持って行ってあげようっと。

昼休みに、古城が成川と「おひなさま飾ったから見に来て！」なんて話してる。
古城先生と２人で飾ったらしい。「お兄ちゃんとね」「お兄ちゃんがね」なんて、ひな飾りの自慢だか
先生の自慢だかよくわかんねー話をしてる。
で、そこにコウが「いいなー、僕も見に行きたい！」って割って入って、
成川も「じゃあみんなで一緒に行こうよ」なんて言って、「稜平くんは？」って聞かれたけど。
俺は行かねー、って答えといた。
だって、俺がひな人形見に行きたいなんて言ったら、絶対引くだろ、お前ら。

珍しく航平が神妙な顔で近付いてきて、来月の小遣いを前借りしたいと言う。
何に使うのか聞いたら、洋服を買いに行きたい、だそうだ。
普段なら問答無用で却下だが、今回はそこそこ納得できる理由があったので、新学期のテストで満点を取ることを条件に特別に前借りを認めてやった。
これが稜平ならぎゃーぎゃーわめいてうっとうしいところだが、航平の場合は反発するどころか動じない笑顔で、「得意な歴史のテストだけでいいよね？」と逆条件を提示してくる辺りは、さすが俺の弟、というべきか。去り際に「そういえば、渓兄ちゃんっていつも黒い服ばっかり着てるけど、たまには春らしい色の服とか着ないの？」などと聞かれた。
余計な世話だ。そもそも俺に、春色の服など似合うか。

いやー、この前のバレンタインは大漁だったね。
僕も渓もコウもしばらくの間、チョコに埋没しながら生活してたからね。
そう言えば、毎年断って一個も受け取らないリョウが、今年は珍しく一個だけ持ち帰ってた。
珍しいこともあるもんだと思って、どんなのもらったのか見てみたら、素晴らしくバランスの崩れた不恰好な手作りチョコだった。
またえらいブサイクなチョコもらってきたもんだねって言ったら、鬼の形相で怒られた。
興味あったんでちょっと味見させてもらおうとしたら、絶対ダメだって。
もったいないから、しばらく食べずに飾っとくんだとさ。
誰からもらったんだか知らないけど、意外とカワイイとこあるじゃない。うちのがさつで無愛想な弟もさ。